浮世絵マニアック

ボストン美術館と3人のアメリカ人

モース、ビゲロー、フェノロサ

1. 日本美術への情熱 ー 日本を愛したお雇い外国人

アメリカにあるボストン美術館(Museum of Fine Arts, Boston; MFA)は、浮世絵をはじめとする日本美術の豊富なコレクションで世界的に有名です。その背景には、19世紀後半に起きたジャポニスムの流れ、美術館の設立理念、そして明治時代に日本に渡り、日本美術に魅了された3人のお雇い外国人が大きく関係しています。

2. ボストンに日本美術コレクションあり

ボストン美術館の日本コレクションを築いたのは、エドワード・モース、ウィリアム・スタージス・ビゲロー、エルネスト・フェノロサ、この3人の人物です。彼らは、明治時代の日本に渡り、日本美術、日本文化を探求していきました。特にビゲローは、自身のコレクションを美術館に寄贈することでボストン美術館が世界屈指のコレクションになることに大きく貢献しました。葛飾北斎、歌川広重、喜多川歌麿、歌川国芳などの浮世絵作品だけでなく、陶磁器、武具、仏教美術など幅広いジャンルの日本美術も寄贈され、コレクションを形成しています。

ボストン市街
陶磁器〔モース〕
北斎・富嶽三十六景 凱風快晴〔ビゲロー〕
写楽・義経千本桜〔ビゲロー〕
国貞・吉例 暫〔ビゲロー〕
弁財天像〔フェノロサ〕

IMAGE 出典: Museum of Fine Arts, Boston(ボストン美術館) https://www.mfa.org/

3. エドワード・モース

モース
エドワード・モース

モース(Edward Sylvester Morse・1838-1925)は、ボストン近くのセーレムで動物学者として活動していましたが、貝類に似た腕足動物の標本採取のため、1877年(当時40歳)で日本に渡りました。研究調査の許可を官庁へ申請するため横浜駅から新橋駅へ向かう汽車の窓から大森貝塚を発見するエピソードは有名です。翌年、お雇い外国人として東京帝国大学の動物学の初代教授に就任しました。日本の考古学、人類学の基礎を作り、大学に進言して日本最初の大学紀要を発刊させ、さらに博物場も新設させました。[*1]

モースは自身の研究以外にも日本の陶芸に関心を持ち、ボストン美術館に寄贈したコレクションは陶磁器を中心に構成されています。その他、日本の考古学や民俗学に関する品々も寄贈しました。

4. ウィリアム・スタージス・ビゲロー

ウィリアム・スタージス・ビゲロー
ウィリアム・ビゲロー

ビゲロー(William Sturgis Bigelow・1850-1926)は、ボストンの医師でありながらも後に日本美術のコレクターとして知られます。先に来日していたモースの講演を聴いて日本に興味を持ち、1882年から来日、仏教にも深い探求心を示し、滋賀県大津市にある園城寺(三井寺)の法明院での修行を経て戒名「月心」を授けられます。

ビゲローの浮世絵コレクションは33,264枚と膨大で、ボストン美術館全体の約64パーセントを占めると言われています。最も多い浮世絵版画は歌川国貞の作品で9,088枚、続いて歌川国芳の3,340枚、歌川広重の1,736枚、歌舞伎番付のコレクションも1,215点と収集し、その多くをボストン美術館に寄贈しました。ボストン美術館の日本コレクションの核となっています。

5. エルネスト・フランシスコ・フェノロサ

エルネスト・フェノロサ

フェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa・1853-1908)は、モースの紹介で1878年(当時25歳)にお雇い外国人として東京帝国大学で哲学の教授に就任しました。もともと美術の専門家ではありませんでしたが、来日前にボストンの美術学校で油絵とデッサンを学んだ経験があり、日本では狩野芳崖などの絵師と関係を深めるうちに、日本美術の素晴らしさに目覚めていったと言われています。日本では仏教に帰依し、1896年にビゲローと同じく園城寺(三井寺・子院はビゲロー戒名授の法明院)で戒名を受けました。

フェノロサは岡倉天心とともに日本美術院の前身となる美術学校の創設に尽力しました。また、日本美術の価値を広く西洋に紹介し、日本美術の国際的な評価を高めた人物です。単に日本の美術品の収集に留まらず、日本文化と西洋文化の架け橋となる重要な役割を果たしました。

6. ボストンから日本へ ー 日本に眠る者たち

フェノロサは1890年にアメリカに帰国し、ボストン美術館の東洋部長として活躍しました。残念ながら、1908年(当時55歳)ロンドンの大英博物館で調査活動中に心臓発作で死去、一旦はイギリス国教会により埋葬されますが、フェノロサの遺志に従い火葬、分骨されたのち、ビゲローも戒名を受けた園城寺(三井寺)の法明院に改めて葬られました。そして、ビゲローも1926年で亡くなると(享年76歳)、墓所はフェノロサの墓と並んで建てられました。現在でも、法明院にはビゲローやフェノロサが過ごした茶室や遺品が残されているとのことです。[*2]

滋賀県大津市 法明院(園城寺・三井寺) <庭園から琵琶湖を望む>

参考文献

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