PostScript ~PDFができるまで②~
30年前のDTP設備投資は非常に高価な物でした!
DTPの礎、PostScriptの誕生②
<WYSIWYGな環境>
PostScriptとMacintosh、LaserWriterという三種の神器が揃い、WYSIWYG(What You See Is What You Get:見たままが得られる)環境を実現できる準備が出来ました。もう一つPostScript(とDTP)の普及に大きく貢献したのがMacintoshが発売された翌年の1985年に発表されたAldus社の「PageMaker」というソフトウェアでした。ワープロソフトのように決められたBOXの中に規則的に文章を配置するのと違い、任意の場所にテキストや画像を配置でき、マウスを使って直感的に操作できる当時唯一のWYSIWYG環境を体感できるソフトでした。
それまでの印刷物のデザインと言えば、デザイナーがコピー機を使ってパーツをキリバリしてデザイン・レイアウトする、いわゆる版下作成という人の手で作るアナログ作業が必須でしたが、DTPの普及によってデザイナーの労力を減らし、イメージ通りにレイアウトできる環境が整うと、爆発的に広まっていきました。
私も当時はMacintoshで画像データベースを作成し、PageMakerを組み合わせてチラシを作成するシステムを開発していましたが、自由度が高いがゆえにエラーで印刷できなかったり、再起動を余儀なくされたりと、当時の非力なマシンパワーの問題もありましたが、非常に苦労した記憶があります。
その後、Aldus社はAdobeに買収され、PageMakerは引き継がれたがライバルソフトの 「QuarkXpress」のシェアを崩すことが出来なかったので、開発は中止され「InDesign」
に移行する事になりました。InDesignも元はAldus社のプロジェクトです。


<PostScriptからPDFへ>
黎明期のDTP環境を整えるのは高額な投資が必要でした。印刷会社もそうですが、当時は製版会社も沢山あり、デザイナーが入稿してくる様々なフォント、ソフトに対応するために常に最新の環境を整えなければなりませんでした。ハードウェアもそうですが、特にフォントはアウトライン化できない時代でしたので、画面表示用、出力機用とあり、1書体30万円近くしていたので代表的な書体を揃えただけで、数百万円という費用がかかってました。また、RIPにも各メーカーの特徴というか方言みたいなものがあり、データによっては出力できない、フォントが化けるなどデバイス依存的な問題が多くありました。
そのような時代が暫く続き、1993年にAdobeからPDF(Portable Document Format)が発表されました。PDFはPostScriptを応用した技術で、今でこそ当たり前ですがハードウェアやOSが違っても、フォントや画像がPDFファイル内に埋め込まれる事によって、作成環境と同じではなくても、元のデータのイメージ通りに表示、印刷できるというものです。日本の印刷業界ではPDFが登場し、デファクト・スタンダードになるver1.3までは10年ほどかかりました。同時にPostScript3というバージョンまでで新たな開発はなくなり、APPE(Adobe PDF Print Engine)という主に透明機能などの拡張機能に対応したエンジンに移行しています。
現在ではAPPEをRIPに搭載することが必須となり、PDFデータでの運用が当たり前となって、フォントを揃えていなくてもPDFであれば出力できる環境が整っています。また、2008年には国際標準化機構によってISO32000-1として標準化され、印刷業界だけではなく、様々な分野にPDFは浸透していったのです。
※イラレ上でA4白紙に「TOMIZAWA PRINT」と入力しただけのaiファイルを、テキストアプリで開くと、なんと約23,000行ものPostScriptが書かれています!